1990 - カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA
2017年、コリンチャンスが7度のナショナルリーグで優勝し、ブラジルリーグのタイトル最多獲得チームになったが、その道は決して簡単ではなかった。
1990年にリーグ初優勝を飾ったことは、クラブの歴史の中で非常に大きな功績だった。なぜなら、その時コリンチャンスはすでにサンパウロ州で複数のタイトルを獲得していたにも関わらず、一度も国内トーナメントで勝ったことはなかった。そのせいで、国内ビッグタイトルを獲得したライバルチームにからかわれた。1990年より前に、パルメイラスやサンパウロFC、サントスFCやグアラニーは、すでにブラジルリーグで優勝していた。
しかし、最初のタイトルは、コリンチャンスファンの好みのスタイルだった!
大会の初め
当時の批評家にとって、1990年代のコリンチャンスは一番のチームの中の一つではなかった。勝ち目はないほうとみなされていた。
その時、サンパウロFCやアトレティコMG、グレミオやバイアなどは、リーグタイトルで優勝を飾る候補になりそうだった。
しかし、コリンチャンスの選手は、勝つための勇気と意志の強さを持っていた。
チームはネルシーニョ・バプティスタ監督(東京ヴェルディ1994-96と名古屋グランパス2003-05、さらに柏レイソル2009-14とヴィッセル神戸2015-17の元監督)に指揮され、ゴールキーパーのロナウド、守備ミッドフィールダーのウィルソン・マノ、そしてストライカーのツパンジニョなどの優れた選手が含まれていたが、コリンチャンス唯一のスーパースター選手は10番のネトだった!
大会のフォーマット
1990年のリーグは2つのフェーズで20チームが参加。
第1フェーズでは、10チームずつ2つのグループに分け、第1ステージではもうひとつのグループのチームと1回総当たり戦、第2ステージでは同じグループのチームと1回総当たり戦を行う。ステージごとの両グループ1位と、両ステージの総合成績上位4チームが最終フェーズに進む。
最終フェーズでは、 第1フェーズから8チームが参加。ノックアウト方式でチャンピオンを決定する。準々決勝、準決勝、決勝から構成される。
グループステージ
トーナメントの初めに、コリンチャンスは2試合に敗れ、悪い結果となった。グレミオ戦で3-0とクルゼイロ戦で1-0で負けてしまった。次に、ヴィトーリア戦では0-0で引き分けに終わった。しかし初勝利は、第4戦目に行われた最大のライバル、パルメイラスとの試合で、2-1での勝利だった。
第1フェーズの終わりに、コリンチャンスはグレミオ、アトレテコ-MG、サンパウロFCの後ろに8勝6分5敗で総合4位となった。 その時、他のチームと同じような美しいサッカーをしなかったのせいで、コリンチャンスの選手は批評家に厳しく非難された。でも、選手の返事がピッチで出てきた!
第1ステージ・グループA
第1ステージ・グループB
第2ステージ・グループA
第2ステージ・グループB
第1ステージ総合順位
準々決勝
準々決勝では、ネトは善戦した! アトレチコ-MGは先制ゴールを決めたが、ネトの珍しいヘディングとペナルティエリア内でのゴールのおかげで、コリンチャンスが2点追い上げた!
ミナス・ジェライス州のチームとの第2戦では、コリンチャンスはディフェンスがうまくでき、0-0で引き分けだった。その結果、コリンチャンスは準々決勝で勝ち、準決勝に進出した。
コリンチャンスらしい勝利だった!
10番のネトの素晴らしいプレイに頼って、ブラジルの最も強いチームの1つで復活を果たした!
準決勝
準決勝では、同じことが繰り返された。 最初の試合では、ホームでバイーアは1-0でリードしていたが、コリンチャンスはパウロ・ロドリゲス選手のオウンゴールとネト選手の相変わらずの素晴らしいフリーキックゴールのおかげで逆転した。
第2戦ではまた0-0で引き分け、ついに14年ぶりにコリンチャンスが逆転で決勝進出を決めた!
決勝
ブラジルリーグの大決勝はサンパウロ州の2つのクラブ対戦することになったが、間違いなく、本命はサンパウロFCだった。 相手チームには、GKゼテ、DFカフ、DFイバン、DFアントニオ・カルロス、DFレオナルド、MFベルナルド、MFフラビオ、MFライ、FWマリオ・ティリコ、FWエリエルといった非常に強力な選手達が集まった。
実際に、このチームは1992年と1993年にインテルコンチネンタル杯とリベルタドレス杯で2度優勝したチームの基盤となった。日本でサンパウロFCはバルセロナ(2-1)とACミラン(3-2)を倒した!
一方では、コリンチャンスはサポーター達の力と選手達の勇気だけにのみ依存していた。 まさにそれが要因となり、1-0で決勝の最初の試合に勝った。非常に難しい試合だったが。
第2戦は、すでに2つのクラブとの真決勝戦だった。 コリンチャンスが初めてブラジルのチャンピオンになる可能性があり、サンパウロFCは1989年に決勝でヴァスコ・ダ・ガマに負けた後、再び2位につけたいとは思わなかった。
それ以上に、「人民のクラブ」のコリンチャンスは決勝で「エリートのクラブ」のサンパウロFC対戦することが大切だった。
そして12月16日、決勝の第2戦はモルンビスタジアムに10万以上の人々が集まり、そのうち約80%がコリントスのサポーター達だった!
前半は0-0のままだったが、後半の9分に明るいツパンジーニョ選手が現れた!
見事な股抜きドリブルでサンパウロFCのディフェンダーをかわし、ファビーニョにボールをパス。GKのゼッチ選手がシュートを落とし、ツパンジーニョ選手が、そのはね返ったボールをうまくゴールへけった!
コリンチャンスはタイトルゴールを決めて、皆は呆れていた! 初全国優勝まで非常に惜しいところまでいった。
ゴールを決めた後、コリンチャンスは最後までサンパウロFCのプレッシャーに負けず、最終的にブラジルリーグのタイトルで優勝を飾った!クラブの歴史に残る日だった!もちろん、リーグで勝った時、狂信的なサポーター達はすごく興奮して、コリンチャンスのヒーロー達と一緒に勝利を祝うためにピッチへ乱入した!
最後に、コリンチャンスは地域タイトルを持っている全国チャンピオンとして認められました。 1990年代のチームにはスーパースター選手は揃っていなかったが、選手達が勇気と意志の強さを持っていたおかげで、この夢を実現させた。
永遠に残るゴール
ツパンジーニョ選手のゴールは、間違いないコリンチャンスの歴史において最も重要なゴールの一つである。
その理由から、コリンチャンスの練習場には、その歴史的快挙を象徴する巨大な絵がある。クラブの「壁のゴール」というプロジェクトだ。
勝ち続けたチーム
1991年、1990年ブラジルリーグ優勝したコリンチャンスはブラジルスーパー杯で、同じ年のブラジル杯で優勝したCRフラメンゴと対戦した。
ネト選手の決めたゴールのおかげで、コリンチャンスは翌年に他の全国大会でも1-0で勝利を収めた。
24年後
そして、これは2014年の僕とネト選手の写真だ!もちろん、彼がコリンチャンスのためにしたことについて、ネトさんにたくさんのお礼を伝えた!それは僕にとって非常に特別な瞬間だった!